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実写ってナンだ!?~未だ観ぬ『つるばらつるばら』へ

アニメだけじゃなくて、実写も何でも動画として記録されたものをメインに扱うことを決めた動画百席。第一席は実写問題。いきなり大上段に構えてしまったけど、大丈夫なんだろうか?

よく言われる映画はアニメで、実写も1/30コマのアニメであると。つまり映画とはアニメのことなのだ、という理屈。

アニメというとガンダムやエヴァンゲリオンとか、ヲタでアキバなイメージがつきすぎてしまうので、アニメーションとするとわかりやすいかもしれないけど、そこまで厳密にアニメーションという視野で観ているのって、オタクでもそうそういない(なのにアニメは文化だとかいわんでほしい)。でもまぁ、いわゆるヲタなアニメもアニメーションに違いないわけで、ま、そういうもんもなんでもひっくるめて、動画でいいかと。

そうなると、マンガってのは動画じゃない。マンガも扱うかもしれないけど、あくまで動画の引き合いとして。そこどまり。この理由は実はかなり根深いもので、この百席を追っていけば自ずとわかってくると思う。

まずはそのマンガ原作というヤツ。TVドラマでもいやというほど目に付くけど、アニメとなると、なんかマンガ原作の方が偉そうに写ってしまうのはなんでだろう?

なんて媚びたフリをしなくても、答えは簡単。国産アニメ第一号の段階でマンガを原作という位置づけにして、アニメをその下、二次的著作物という扱いにしたから。あの、手塚先生が。文句はいくらでも出てくるが、ともかくこの位置づけが後々尾を引いて、非常にやっかいな問題になってしまっている。逆にマンガを原作にしないと収益が出ない、というか企画が通らないのかな? という悲しい現実もあるわけで、如何ともしがたい。

ともかく、表現メディアとして方法論が全くといっていいほど遠いもんを繋がっているようにみせるもんだから、映像化されると、やれイメージと違うだのなんだのとクレームがついて回る。自分なりに解釈付け加えるのも面倒くさくなってくる。(^_^;)

原作なんて読んでる必要性ないんだけど、たまたま読んでたりすると、どう映像言語として処理するのか、ここを楽しむというのが原作つきも醍醐味だろうか。

で、先日なんかの記事を読んでいたら、犬童一心が出ていた。「ジョゼと虎と魚たち」で注目を浴びたが、未見で名前だけメモリーしていた。で、こんど上映するか撮ってる最中かの作品があって、もともと企画としては大島弓子の『つるばらつるばら』をやる予定だったという。

アホなこというようだけど、個人的には最初に『つるばらつるばら』やりたかった。あ、でも結局別の作品になったから可能性はあるか。

犬童一心のプロフを観ると、なんと以前に『金髪の草原』をやっているではないか!? 2000年か・・・知らんかった!

観てからまたここにカキコしようと思うけど、大島弓子原作狙いは、金子修介(『毎日が夏休み』)だけじゃなかったか。しかも88年に『四月怪談』も映画化されてるし。

観たのは金子の『毎日が夏休み』だけだけど、どうにもうざったい映画だった。原作の科白も散見できたが、フツーに演技上の科白にすると、どうも上滑りというか説教臭く響いてしまう。映画『毎日が夏休み』という世界ができてなく、マンガ『毎日が夏休み』を一生懸命なぞっている印象しかもてなかった。原作をよくよんでいる自分がいけないのかもしれないが、たとえば竹中『無能の人』なんかではそれを感じなかった。

金子の場合、『1999年の夏休み』(萩尾望都『トーマの心臓』がモチーフ)の方がしっくりいった。男性の役を女性でやるという試みが独自の映画言語を構築していたと思う。この企画も、最初はATGの企画だったというから合点がいく。そういう点では山田勇男の『蒸発旅日記』もつげワールドと形容されながらも師の寺山修司的な独自の世界観(つげ義春作品に美少年趣味はないでしょ)で、有でしょ。『毎日が夏休み』の功績は佐伯日菜子の発掘につきる!?

で、犬童一心。プロフ見る限り、市川準組だったのかしら? 『金髪の草原』で池脇千鶴ってあたり、市川準の『大阪物語』で脚本やってるから、その辺のつながりなのかと。

でも、日本の女優さんは若ければ若いほど、顔が生えるというか、パーソナリティのハッキリとした人が多いし、撮る側もそこら辺はっきり見せたがるから大島弓子の世界の女性としてはキャラクタが前に出すぎてしまうような気がする。まぁその辺の処理が犬童映画になっていればいいのだろうけど、未見ゆえ謎。

でも映画全般としてそんな傾向があるんで、監督の映画というより役者の映画になっちゃうんだろう。まぁ宣伝的には致し方ないのだろうけど。とりわけ大島弓子作品の場合、女性は魅力的であってもそれは結果論であって、世界というものを前面に出す、発動させるコアみたいな位置づけで、設定上はいるようでいない存在感薄めのキャラクタなのに、作品上では存在感ありまくりという難しいもんになっている。それゆえ、映像化の際は監督の世界の認識なんかがもろに影響でて面白いのだけど、原作がそういう素材ゆえ、ただの役者さん映画にするのはなんだかもったいない。

とまぁ、はじめてのカキコミで冗長になってしまったけど、長く続けるために今後は短く刻んでいくんで。

観てないもんでこんだけ書いちゃったんで、観たときのカキコとの比較が面白いんじゃないかと。

このブログの視点はこんな感じなんで、里程標になってればいいなぁ。

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コメント

※前の前のブログでいただいたコメントです※

o-tsuka
『はじめまして。『四月怪談』は最悪です。『金髪の草原』は大島弓子だと思わなければいい映画だと思います。』

sye
『弊ブログ初コメントありがとうございます。どうも大島作品の世界観と池脇千鶴が結びつきません。市川準の映画は何気に好きなので、観る時は犬童映画として楽しめることを期待します。』

投稿: sye | 2007年5月22日 (火) 14時09分

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