« お引越し | トップページ | ルーズショットのニヒリズム~画の演出3前編 »

未だ観ぬ『TAKESHIS'』へ

やっぱり!という言葉とともに、本当に実現したんだという感慨でいっぱいな今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか?
『フラクタル』完成まで生きていて良かった。
鑑賞後もそう思えると嬉しいのだが、まぁ10中89の残り10~20%期待せずに気持ちを乗せて、平常心を保ちつつ劇場へ向かおうかと。


実際は『フラクタル』ではなく『TAKESHIS'』とタイトルを変えたわけだが、キタニストには待望の映画化で、その構想はもう10年も前の話となる。ご存じない方にザックリ流れを説明すると、タケシがバイク事故を起し、復帰後第一弾の映画監督作品として、後に『キッズリターン』となる案と、『フラクタル』という2案が上がったのだが、森社長が映画監督としての今後を考えて、エンタテイメント性の高いキッズの案を選んだという。
この段階で、キッズとHANA-BIとフラクタルの3案がタケシの中にはあり、キッズの後、あのHANA-BIが完成となった。HANA-BIの上映を前に関連書籍が多く発売されたが、その殆どでタケシはこの話を吐露していることからもわかるように、相当にこだわっていた企画のようで、座頭市の興業的成功でご褒美に好きな映画撮れる状況が出来て、10年の時を経てやっと実現するに至ったという、なんだか押井守がバンダイにパトレイバー2つくるご褒美にトーキングヘッド(原題が『ゲーデルの首』だったのも因果な暗号めいているな)をつくらせてもらった経緯を髣髴とさせる。


で、なんでご褒美でないとつくれなかったのかというと、「現実だと思っていたら、夢から覚めて、さっきまで現実だと思っていたのは夢だったんだと思ったが、いま目覚めて現実だと認識している現在も、また目覚めれば夢なのかもしれない」みたいな内容だと確かタケシ自身が語っているのを耳にして、それでは監督復帰しても復帰作として今後監督を続けていけない、つまりは本当の復帰とはならないと判断した森社長に対して、自分がこれまで北野映画に見出していたものが幻ではなかったと証明できる瞬間だったのにっ!と恨めしく思ったものだ。このことは北野映画を観たことがない知人に、何で自分が北野映画すきなのかを理解してもらえない状況を遅延させいたし、その知人が北野映画を観ても、なんで自分が熱を入れているのか理解してもらえない状況をも生んでいた。尤も、映画なんて観た当人が楽しめればいい訳で、客観的に個人的嗜好を理解してもらう必要はないのだけど。


蛇足だが、学生時代、ある年配の講師に「北野映画見たことある人?」といわれ手を上げたら、その理由を述べなければならないという拷問のような時間がやってきて、映画内映画のことを渋々述べたら、頭に思いっきり???が浮かんでいたのを思い出した。あの講師、TAKESHIS'で自分の発言の意図をやっと理解・・・してないな。自分という存在も忘れてんだろう。そういうもんでしょ。


閑話休題。森社長の判断だが、今にして思えば正しかったと思う。当時もしフラクタルが実現していたとしたら、TAKESHIS'とは違ったものになったろうし、ベネチアで金獅子取る前だから、予算もない状況で思い通りのものをつくれなかったろうし、撮影途中で打ち切り、完成できても配給決まらずお蔵入り、そしてタケシは以後映画が撮れず、なんて状況になっても全くおかしくない状況だった。だってキッズが単館で相当話題になって、その流れの上にHANA-BIがあるんだろうし(ソナチネがいくら海外で話題になっても一部の話しだし、それでは日本でお金は動かないでしょ)、ソナチネで実質、奥山P首切り状態だったわけだから。

で、企画内容に興奮したのは上記の通りだが、フラクタルというタイトルにも、当時そこに来たか!と相当に興奮したものだ。その興奮するほどの“フラクタル”とはそもそもなんぞや?という話をば。数学は興味あるけど苦手なんで、突っ込んだ話をするとボロが出るので詳しくはそれなりのサイトを参照ください。それではあまりにもなので、ザックリ間違いだらけで説明させていただくと、相似とかなんとかっつって、ある図形があって、その一部を拡大していって、さらに拡大していって、さらにさらにさらに拡大し続けていくと、もとの図形が出てくる、というもの。マンデルブロート集合とかコッホ曲線なんてのがあって、特にコッホ曲線は簡単な関数で表現できるようで、ネット上でもフリーウエアが出回っているし、スクリーンセーバーもあるので、興味ある方は是非その目で。この手のプログラムはパソコンではウインドーズ以前からあって(FM-TOWNSで流行った気が)、数式を反復するというコンピュータが主役の世代の数学の賜物の様。
フラクタル理論は、なんで0で割り切れないかの証明とか、卑近な例ではリアス式海岸を表現するのに用いられたりして、カオス理論として非常にセンセーショナルに迎えられた。ちょうどファジーとか流行ったころの話。


マンデルブロート集合などの図形と、胡蝶の夢的な夢から醒めた夢、みたいな構造が被って、虚構である映画と現実の対比が映画の企画として出来上がったんじゃないかという想像は難くないが、自分の中でタケシがこういう映画をつくるって確信をもったのは、これまでの映画にその萌芽をみただけではない。その萌芽を確信として受け止めるに至る要素が他にあったのだ。
あるとき、平成教育委員会を見ていたら、タケシがギャグとして、問題の答えか何かで「○○出る」??みたいな言葉に対して、「げー出る(ゲーデル)・エッシャー・バッハ」といったのだ。ゴールデンのバラエティ番組でダレがこの言葉を聞くと確信できただろうか? この瞬間茶の間でぶっ倒れたのはいうまでもない。
なんでカットされなかったのか不思議だが(生放送のときなんてあったかな?)、これはダグラス・R・ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』という本から来ているネタ。いうなればこれまで話してきた構造のような思想による数学の書籍で、当時現代思想の引き合いによく出された。柄谷行人の『内省と遡行』(だったか『探求』だったか)にも出てきて、自己言及とか脱構築とかの文脈で目にした。ゲーデルの理論をエッシャーの騙し絵やバッハの音楽に見出すという内容なのだが、先に押井守を引き合いに出したのは実はこの布石だったりする。


それはともかく、タケシの中に自己言及的な懐疑がある、という容疑があったわけで、それでこれまでの北野映画をみれば、TAKESHIS'の出現は十二分に予測できたというわけ。
さぁここまで盛り上がったのだ。期待するなというのが無理な話である。あの確信から10年、この先はTAKESHIS'を観てからとしよう。

|

« お引越し | トップページ | ルーズショットのニヒリズム~画の演出3前編 »

コメント

※全ブログでついたコメントを転載※

■読者登録、ありがとうございます。
『TAKESHIS'』はまだ観てないのですが、絶対観たい映画です。ご覧になりましたか?続きを読みたいですぇ。
Johannes(ヨハネ) 2006-02-09 14:16:50

■>Johannes(ヨハネ)さま
ご期待いただき、大変恐縮です。
『TAKESHIS'』はみたのですが、困ったことに、
事前に長文を書いたばっかりに、鑑賞後、改めて書くようなことがなくなってしまったという(^^ゞ
『ソナチネ』や『3―4x10月』のように、言葉の要らない映画でした。
いつになるかわかりませんが、後日、簡単な感想をUPさせていただこうと思います。
これからもよろしくお願い致します。
sye 2006-02-09 16:36:38

投稿: sye | 2007年5月22日 (火) 13時50分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/173075/6510302

この記事へのトラックバック一覧です: 未だ観ぬ『TAKESHIS'』へ:

« お引越し | トップページ | ルーズショットのニヒリズム~画の演出3前編 »