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不完全性少女考(2)

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2)虚構としての少女


C・L・ドジスンは写真を用いたのと同様、物語をつくっては女の子に聴かせており、アリスをヒロインに話したのが『不思議の国のアリス』だといわれている。彼が女の子と友達になるために虚構を用いることは、少女というものが概念であり虚構(幻想)であることは無関係ではあるまい。


・触れ得ざるもの
少女を虚構の物語で扱った日本の作家として川端康成があげられるが、三島由紀夫が川端康成に「少女に触れるということは、その瞬間から少女でなくなることであり、このアンビヴァレントなくして少女を想うことは出来ない」といった主旨のことをいったことに対して金井美恵子は、ここでの少女は「少女」というより「処女」である、といっている。少女としてあるということに処女であることが必須条件としてあるのだが、なら少女の虚構性とは、触れ得ざることと同義である。
少女は禁忌(タブー)の要素を持ち合わせているからこそ少女であり、異なる世界(我々のいる触れられる卑俗な世界をこちら、現実とすれば、少女のいる触れ得ざる神聖なる王国はあちら、虚構となる)の虚構性は禁忌という境界に守られている(谷崎潤一郎『悪魔』の、女性が愛する男性のハンカチについた鼻水を舐める描写に、当時の人々は仰天したそうである)。日本でのロリコン趣味はブルセラ趣味となぞられがちだが、少女とする対象が制服といった、性的に守られた、閉ざざれた空間にあるものとしての象徴をまとっていることが、その手の趣味人を、触れ得ざる、虚構に己をかけようとさせる。
[補足:これを物語として持つアニメとして『装甲騎兵ボトムズ』がある。主人公キリコの追う女、フィアナは文字通り触れ得ざるものとして存在し、しかもPSという人間を模した、いうなればアンドロイドである。結局キリコはフィアナを追い求めることしか出来なかった]


・少女の天使性
天界と人間界の媒介者として天使がいるが、ギリシャ神話にしろ聖書にしろ、虚構としての、あちらの世界を設定し、そこからこちらの世界に使者を送る。
ヴィクトリア時代の少女のイメージの一つは汚れなき天使の如き存在であったと先に引いたが、この時代、家庭は、男は外で働き、女は家の中で働くことが主張されていたと報告した富島美子は、こうした家庭の中に囲い困れた理想的女性像を表現するのが「家の中の天使」というメタファーで、神からの使者(angelの語源)、この世(=男たち)と神をつなぐ仲介者、となれば天使性と自己保存本能である食欲が抵触するのは必然としている。先の述べた、拒食症にみる少女のイメージと重なる。
清掃局員A(ゴーストハックしようとする方)は、清掃局員Bに自分の子供の写真を見せようとする時、子供を「天使みたいだろ」という。しかし犬だったわけだが、作中の犬は、旧市街地の人込みに紛れているか、テレビの中や広告といった情報として、偏在化している。ハッカー(飲み屋の親切な男)が光学迷彩を着て犬の広告の前を通る、このことは即ち、旧市街のネットとして、犬があることを現しているのではないか。これは、人形使い(ネット)との融合時に天使を見ることともリンクする(作中の看板はCGで起こしてコビーしたそうだが、犬の広告もそうなら、なおのこと……)。
(続く・・・)

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