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surgeon / basictonalvocabulary

2ndにしてある種極まった感すらある名盤。クールすぎるミニマルトラックは、楽観的なリスナーの抱くミニマルテクノとしてのキャパを越えてしまった。
ここまで来ると、面白がる人は限定されてしまうのではなかろうか。
ミニマルがミニマルであるためのアルバム。何故、反復なのか。そこまで行ってしまっていると思う。 
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本が好き!とかいうヤツの先行告知

話の発端は食べ歩きブログの方なのだが、ブログをやっていると極稀に“ハナシ”というやつが飛び込んでくることがあって、献本する代わりに書評を書かない?という話が舞い込んできた。

本が好き!

原稿料など発生するわけではなく、早めに本が読めるというメリットしかなく、レビュー書かなきゃという焦りに苛まれる代価の方が高くつくような気もするのだが、書店のPOPで本が売れるという一つの流れが出来たように、ブロガーによる発信というものでなんとかなんないのかなぁということみたい。
ここ数年、ゆっくりとした読書からは遠く離れてしまったので、復帰のいい切っ掛けにはなると思ったので、これから時折書評をUPするので、動画(時間演出のある媒体)メインのブログだと宣告しておきながらこの体たらく…ご容赦頂きたい。

食べ物系のムックなどは食べ歩きブログの方に上げるが(現在『日本一の「手みやげ」はどれだ!?』BRUTUS特別編集 を公開中)、資料や小説などいわゆる読み物はこっちにUPしていく。
で、現在格闘中が佐藤優『自壊する帝国』。ペレストロイカに立ち会った日本外交官の激白ドキュメントで、これがメチャメチャ面白い。ソ連好きなら思わず失禁もののどこまでも赤い内容。行動全てに裏があり、そこに秘密警察の陰が!・・・しかし、読む時間の確保が困難な身には、今月一杯のレビューUP締め切りが早速キツイ! 大丈夫か、オレ??

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映画『太陽』雑感~後編

前回の続き


ヒロヒトの3日間を描くというとドキュメンタリータッチの印象を受けると思うが、先述したように内面的心情が吐露されたり他者の発語、あるいはナレーションなどの言葉によって補完されることはなく、状況、というより風景が切り取られているに過ぎない。
とはいえ、劇中全てがこれで覆われているわけではない。観た方には非常に印象的なシーンだったと思うが、とてもイマジナリーなヒロヒトのみる夢のシーンがある。東京大空襲と思しき、魚と化した爆撃機から焼夷弾が投下される光景が、炎揺らめく水の中からの右往左往する視点で描かれる。夢から醒めたのは午睡の後か、はたまた翌朝か、例の如く説明は一切ないのだが、まぁ常套に考えて夢の中の視点の主観は水の中の生物ということで考えるとナマズだろう。自分は最初、その揺らめく水面を水中から描かれる光景を見て、皇居の堀の中かなぁと思った。次第に空襲が激しくなり、夢だけに視点がダイナミックに切り替わり一種のジェットコースター的な激しさを増してきて、ちょっと様子が違うぞとは思ったが、ここがどこかとかそんなことはどうでもいいほど、これまでの映画のトーンとは異なり、非常に動的なシーンに仕上がっていた。
動きばかりではない。色彩もゴールドのような黄色いベースの色合いという点ではこれまでと大差ないが、黒が強いのだ。コントラストがきついというか。CG処理されているせいだと思うが、この夢のシーンとは別にも、マッカーサーに会いに連行されるシーンでの皇居外の廃墟が描かれている部分は、ガレキがやはり少々コントラストきつく映える。
これに違和を憶えても不思議ではないだろうが、自分はヒロヒトの日常的なる光景と、ヒロヒトにとって非日常的、つまり多くの国民(東京人)にとっての日常との差異という描き分けとして、逆に効果的だったんじゃないかなぁと思った。


もうひとつ、大きく印象的に演出されたシーンではないのだが、ラスト近くでヒロヒトが西洋の(だよね?)ドローイングを眺めるシーンがある。日常の1コマ的に描かれる時は大人が苦もなく両手で広げられる程の大きさの絵なのだが、カットが変わりヒロヒトの頭越しの画(おおまかにいえば主観ショットだろう)に変わると、図版の大きな絵に変わっていて、両手に広げて持つのもいっぱいいっぱいな程になっている。
こういうカットによる縮尺の違いなんて多く映画にはあるだろう。それを感じさせないように手が施されるのがフツーだが、ここでは明らかに故意に演出されている。まるでこどもが大きな世界地図でも広げて、熱心に見入るようである。そう、この映画ではヒロヒトを暫しこどものようだと表現させている。時に用地ですらある側面を誇張して描くことで人間ヒロヒトを演出しているのは一目瞭然で、その人間らしさを、子供っぽさに求めたり(あまつさえセリとしてマッカーサーなどに言わしめたり)、例えば桃井かおりに抱きつくシーンなど、あまりにベタな描き方に若干自分は辟易する部分はなかったわけではないが、そんな言動よりも、画を見入るヒロヒト、そのパースペクティヴという1カットで全てを現しているような気がしてならない。どんなセリフや演技よりも、グッとくる瞬間だった。


縮尺を変えてみせるファンタジー・・・この映画は史実を描くものではなくフィクションであり、ドキュメンタリーではなくアートであるのだろう。その意味で、映画としてイマジネーションを刺激させられる非常に楽しい2時間であった。


【了】


予断になるが、イッセー尾形は好演だったと思うが、どうにもヒロヒトというよりマギー司郎に見えて仕方ない瞬間があった。じゃあマギー司郎が演ればよかったのかというと、それは当然別問題で、演技ってのとは違ってくる。でも、映画の話とは離れるが、時折マギー司郎に哀愁を感じるときがある。マギー司郎の素顔に迫る的な番組を何度かみたことがあるが、若い頃のビンボー時代に食べたカツサンドかなにかをその店のカウンターで頬張る時の背中・・・東京に出たての頃に澄んだ下宿の跡地に佇む姿・・・マギー審司の活躍を喜びながらも、どこか寂しいあの、丸眼鏡の奥の瞳。その瞬間に、ある一定の年齢に達すると感じる、やるせなくも行き場のない漠とした哀愁は、イッセー尾形演じたヒロヒトに相通ずるものをみた気がしてならない。


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映画『太陽』雑感~前編

昭和天皇ヒロヒトの人間宣言へと至る3日間をイッセー尾形が演じロシア人監督が映画化するというだけで話題性は十分なのだが、映画の情報を積極的に摂取しなくなって久しい身には、ソクーロフ の新作上映という情報が簡単に舞い込んできたことが単純に嬉しかったりする。
内容的に日本国内での上映が難しいといわれていたようで、そんな中なんとか単館での上映に漕ぎ着けたのだそうだが、センセーショナルな部分での反響だろう、高齢層の観客で映画館は満杯になったという。だからソクーロフがどうこうということは関係のない動きなわけで、のんびりソクーロフの映画がみれると高を括っていたところにこの騒動。おまけに上映館は銀座シネパトスと来ている。地下鉄の騒音と屎尿の臭いで有名なステキ映画館。鑑賞された方のレビューとみると、案の定劣悪な環境への不平不満で満ち満ちていた。ご愁傷様です。
このような状況で他所も黙っていようもなく、続々と上映館が増えていく。その中にチネチッタ川崎があった。銀座を除いた他の映画館よりは近いし、行ったことないし、設備も整っていてキレイだって言うし、京急に乗れるし(結局それか)、ということで、観て来やした。


わざわざ川崎まで、しかもネットで席予約して行って大正解! ちと空調が効き過ぎかなってくらいで、スクリーンも大きく実に快適。映像自体が見ごたえがあるので、これくらいの環境がちょうどいい。
映画の大筋の感想自体は、パンフレットにあった田原総一郎のインタビューと大差ない。つーか、逆によくコンパクトにみどころまとめちゃったなぁという、ある意味パンフレットとして失格なほど的確な文章だった。内容については触れなくもないが、ここは敢えてソクーロフの映画を観たってことを書きたい。

なんてこれまで書いておきながら、ソクーロフの映画は2本目。しかもビデオで『ストーン』。ビデオではそんなに気づかなかったけど、今回初めてスクリーンで見て(だから劇場でみたかったのよ)、その映像の細かいディティールの再現はビデオでは潰れてしまうほど、繊細で中間的な色彩・コントラストであることをここまで認識したことが今までなかった。
ビデオにしろDVDにしろ、映像の持つ雰囲気は伝わっても、映っているもののテクスチャーみたいなもんまで再現することって実はまだ出来ていないんじゃなかろうかと。フィルムで撮ったのかDVなのか知らないけど、そのフィルム的質感は官能的と思えるほど、青を基調とした(場面によって基調となる色が変わる)淡い世界。細かな文様の入り組む伝統的織物のようなコンクリートの複雑な質感が、ヒロヒトの潜む地下壕という空間が、飽く迄豪華ながら、Xデーが迫っている暗澹とした空気を伝え、と同時に逆行するかのように、進退窮まる状況そのものの敗者のカタルシスとも言うべき負の美麗さが同居している。これらは言葉として説明されるのではなく、1カットの画として感得し得るものであるということが大きい。この映画はいわゆる説明というものが殆どない。主人公がヒロヒトであることは侍従らが発する現人神という言葉で説明されるも、もし現人神という言葉を知らなければ、彼がヒロヒトであるということすらわからないだろう。
なんで映画には映像がついているのか。おかしな問いだが、こんな当たり前のことを疑問視してしまうほど、映像は言葉によって補完されすぎている。言葉は別のイマジネーションを刺激する、映像とは同時にあって別次元のものであるからこそ、映像と共に発せられるんじゃないかなぁと思うのだが。。。


つづく

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PATRICK PULSINGER / PORNO

まずジャケが凄い。まんまスパイ映画。ブックレットも三流エロスパイ映画のコミック仕立て。

で、曲は、結構まともなミニマルトラック。結構肩透かしものなんだけど、随所にチープな上ものがかぶさったり、たまにヘボヘボな展開をみせるなど、それなりのコンセプチュアルな要素は伺える。

しかし飽く迄ミニマル好き用。ジミ・テナーみたいのを期待すると損するかも??

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