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文脈と前提~島田雅彦『彼岸先生』

彼岸先生久々に島田雅彦に再び手を付けだした。ということで『彼岸先生』を読み出したが、まだ、漱石云々というかんじは感じられないが、やはりタルコフスキーなどの単語が出てくる。
こういう固有名が小説に出てくるというのは、オタク的な感覚でいえば、同族意識というか「これ知ってる人いる?」という、さもしくもついやってしまうことだが、この場合少々事情が違うようだ。

これまでの文学のような世界での知的文脈、みたいなものから出ているものだと思う。つまり、島田雅彦の場合、小説というものが日本に誕生してから、文芸批評で執り行われてきたこと、ちょっと前のことで言えば、ポストモダンの言説に至るまで、文学というジャンルが問題としてきたこれまでの歴史、つまり文学的な文脈というものを踏まえたうえで、固有名を使っているということだ。
つまり、どれどれこういう固有名を用いる場合、その言葉に対してこれまでどのような言説があったかがわかってしまうわけだ。これは逆に、いまさらこんな言葉を使うのはヤバいだろう、という自主規制にも繋がる。もっとも、島田の場合、そんなちゃちなことには頓着しないのだろうけど。
それにしても、文脈を背負っているものとそうでないものとの差は明らかだ。よくも悪くも、背負わない文章は時代性を感じさせない、よく言えば、他人はお構えなしに、自分自身がいいと思ってきたものが素直にでている。しかし、気付いたことが既に埃をかぶっているような発見だって事も往々にしてある。島田は明らかに文脈を背負っている。だから多くは語らない。さらっと、タルコフスキーといってのける。島田の作品からはそれが逆に自由である印象を受ける。

個人的に思う面白さは、その自由さにもあると思う。しかしその自由さを与えている固有名は前提を必要としているものではなく、字面として定着してはいても、決して衒いではないのだ(というかその意味では機能しないと思う)。こういうことは東浩紀によってある程度語られていることなのだが。。。

【初出:1999年6月17日】

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『卓球温泉』~あの日の映画館

久々のUPは以前書いた映画のコラムが出てきたので載せてみます~
※これまた久々にlivedoorムービー“映画を語ろう”にUPしました。


最近映画館に行ってないんだけど、無性に映画館に行きたくなった。そんな映画。
特別どうというところもなく、まあ、多くの人はわざわざ見る必要を感じな い、よくある日本映画だけど、なんか熱い。

題材が卓球と温泉という単純且つ渋いセレクトで、確かに個人的に琴線を震えさせるものではあるのだけど、カメラ ワーク、配役、役者回し、そこら辺が廃校舎という背景と相まって、古くさい映像空間が出来上がっている。
スチール臭いというのかな、妙にクサいBGMとは 違う、意図とちょっと外れた部分で、映画そのものの郷愁が出ちゃっている。コ汚い映画館にふと行きたくなる瞬間。映画じゃなきゃダメっていう、そういう感 じ。
じゃあ、この映画を映画館で見ればよかったかっていうと、それはちがくて、その起爆剤になったって事。次週は「ザ・ロック」をやるそうだけど、これに はそういう映画臭さはないのね、当然だけど、別もんだから。
これは邦画って部分が結果として強いんだけど、邦画に限った話じゃなくて、タルコフキー(ノス タルジアとかアンドレイ・ルブリョフかな)とか、トリュフォーとか、ケン・ラッセルとか(脈絡ねーな)、ああいうのにもある。あと、ATGはそう。モロそ う。ACTシアター系の映画館に足を運ぶ感覚。
そっちの映画のはしごした映画青年なら共通感覚としてあると思うんだけど。必死に映画見るっていうか、雰囲 気に酔ってるというか。これは、いまさら80年代の歌謡曲、斉藤由貴とか中山美穂とか聴いて、妙に切なくなってしまう感じかな(これについては別項に記載あり)。そういうわけで、映画館に 行きたい!

【初出:1999年6月19日】

●舞台になった温泉田沢温泉 ますや旅館、なかなか鄙びたいい旅館♪

Music 卓球温泉

アーティスト:サントラ
販売元:徳間ジャパンコミュニケーションズ
発売日:1998/04/22
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