« 文脈と前提~島田雅彦『彼岸先生』 | トップページ | 押井版『ボトムズ』~その可能性の中心(2) »

押井版『ボトムズ』~その可能性の中心(1)

第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 | 第5回 | 第6回

続きを書くといって書いていなかったのを思い出し、続きを始めます。久々のUPなので長文モノをば。
第一回がだいぶ前になってしまったので、日付更新して。


以前、なにかのインタビューで、押井守が自作以外に監督してみたい作品はあるのか?といった内容の質問に対し、ボトムズを上げていた。このとこが単なる隣の芝生的な興味と、その場のノリ的なものではない、なにかリアルなものとして自分には感得出来、そのことが10年以上経った現在に至るまで色濃く記憶の中に陰を落としていたことに、今ながら驚いている。
そのインタビューでは「キリコは犬だ」的な発言があり、ある評論家だったかが、ボトムズに関する書籍でその押井発言に対して批判を展開していたが、キリコが犬であることは以前に文章で触れた。蒸し返すつもりはないが、キリコが犬的であるというのは、押井作品の男パターンに該当する、自らは懐疑しない存在として、ただそこにあり続けるというキャラクタとして認識しているからなのだが、そのことは追々述べるとして、自分の当初の関心は、単にメカ(ミリタリーや軍組織)の押井趣味的な部分がボトムズという世界設定においてより魅力的に花開くだろうと思い描いたに過ぎず、無邪気なオタク的関心異常のものはあまりなかったように思う。ATの機能美的なメカ設定はいうに及ばず、ボトムズのLDの映像特典だったかのタイトルが『証人喚問』だったり、OVA『嚇約たる異端』のプレビデオが「ブリーフィング」だったりと、多分に軍組織的な臭いを放っていたことが、押井版ボトムズという空想を膨らませるに足るものだった。
しかし、ありうべからざる作品に対してテンションは盛り上がるはずもなく、漠とした希望として打ち遣っていたわけだが、『イノセンス』を観るにあたり、そのオタク的願望はよりリアルな過程として、再び頭にもたげるようになったのだ。
なぜに『イノセンス』が『ボトムズ』なのか。別段犬という線で単に結んだわけではない。主人公であり世界を彷徨う犬は、ただそこにあるというだけの存在以上でもないことがそのポジションたる所以なので、そう考える必要はない。その主人公が彷徨う世界を、作品世界として我々観る側が認識する外部視覚装置、いうなれば、物語を発動させ、我々にその姿を見せてくれる世界の鏡がなんなのかということがキーになってくる。『イノセンス』の人形の対比としての、『ボトムズ』のPS、つまりフィアナである。
(続く・・・)

←クリックいただけるととても喜びます

|

« 文脈と前提~島田雅彦『彼岸先生』 | トップページ | 押井版『ボトムズ』~その可能性の中心(2) »

コメント

>Jさん
情報ありがとうございます。
そのサイトを存じていなかったのですが、
どのあたりがリンクしているのか、
実写化=押井版ってことでしょうか?
作品観照の一つのキャッチーな取っ掛かりとして書いてみた文章なので、実現して欲しい云々ということではなく、気楽に流してください。

投稿: sye | 2006年12月20日 (水) 13時17分

この記事の元ネタは・・・
http://www.mmjp.or.jp/gigas/realvotoms
じゃない?
最近結構ファンの間で話題になってるらしい。

投稿: J | 2006年12月20日 (水) 01時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/173075/4519570

この記事へのトラックバック一覧です: 押井版『ボトムズ』~その可能性の中心(1):

« 文脈と前提~島田雅彦『彼岸先生』 | トップページ | 押井版『ボトムズ』~その可能性の中心(2) »