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海洋堂マニアックス~雑感

海洋堂マニアックス
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livedoor BOOKS
書評/ルポルタージュ


チョコエッグで一気に注目を集めた海洋堂。これまでの食玩といった枠では収まらないハイクオリティなオマケフィギュアが出来上がるには、マニアックなまでのディテールへの執着があればこそ。平凡な下請けオマケ玩具メーカーではないからこそ離れ業をやってのけたわけで、まぁ当然そこには尋常ならざる人間がいて尋常ならざる歴史があってこその必然だった。
そう、本著は帯にも記されたように、知らなくても支障を来たさぬ内容であり、それは逆を言えば、一般的には嫌悪を以て迎えられるべき事象といえる。今日でこそアキバ系などといわれるように好き嫌いはともあれ知られるところのものとなってはいるが、それまではアングラという言葉が相応しいほど、ガレージキットは認知されていなかった。
ガレージキットという言葉を抜きに本著は愚か海洋堂そのものは存立し得ないし、ここ20年ほどのオタク文化に於いてをや語ることもできないだろう。オタク文化の代表格と言えるアニメというメディア以上に、SFや特撮といったオタク趣味にその端を発し、アニメ絵と目される女の子のセクシャリティへと堕する(向かうではなく、敢えて「堕する」といわせてもらおう)時代の風をモロに受け、これほどまでに揺れたものは他になかろう。
本著ではガレージキットの歴史俯瞰に1章割いている。そこでは海洋堂と切っても切れないゼネプロにも触れられているし、アニメ的なるモノへの接近も述べられている。ガレージキット流布(=DAICON以降)からの凡そ20年、ともにオタク文化に触れてきた人間として、単なる書評としてコンパクトに文章をまとめるに止まれない感情が本著を前に沸き上がるのを止められなかった。というわけで、別項に主にゼネプロに関する内容が多くなってしまったが、自分史と照会したガレージキット的文化に関する雑文をUPしたので、参照されたい。また、時代的背景を明確にするために、文化的事象の照応の意味で自分の学生時代の模型屋話も併載した。興味のある方は併読頂きたい。
 1)模型屋が溜まり場だった頃  2)模型部だった日常
 3)ガレージであること[前編][後編
自分がみてきたものは、今では考えられないかもしれないが、オタク的な趣味がどんどんセクシャルなものへと移行する黎明~発展の歴史だった。今でこそ飽和状態に感じられるが、それまではオタク趣味にセクシャリティが介在する余地など殆どなかったのだ。結構バンカラで硬派な世界だったのである。その頃、いやもっと昔、第二次大戦の戦車や零戦の模型を木から切り出していた時代からの模型趣味人にしても当然、ちょっとのセクシャリティがチラリズム的にあるのならまだしも、ここまで氾濫、いや殆どそれらで席巻されてしまった状況は、戸惑いはもちろん、危機とまで感じているのではないだろうか。ちょっと時代を遡りすぎて大げさにしてしまったが、模型趣味の世界ではミリタリィというのは歴史があり世界規模の趣味でもある。タミヤのAFVなどがその代表的なものだろうが、それらに模型趣味の基盤があるものは、どんなに模型がSEXに傾いても、模型屋としての誇りを失ってはいなかった。その気概が、食玩におけるWTMとして現れた。その意味で、オタク通史としてもガレキ史の章とWTMの章だけでも本という形として残しておく価値のあるがあるのではないだろうか。少なくとも自分には、本著の肝である気がしてならない。
またタミヤの模型屋としてのスタンスは海洋堂がリスペクトしていて同時に敵対視している部分もあるので、『田宮模型の仕事』を併読されるとより興味深く対比できると思う。

田宮模型の仕事 Book 田宮模型の仕事

著者:田宮 俊作
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

もちろん、他の章も読み応えがあるし、レイアウト・装丁が凝っていて、保存版としての重厚感があるのも特筆点だろう。あさのまさひこ氏は実にいい仕事をしたと思うのだが、以前『ボトムズアライヴ』という仕事も手がけていた。いくつか似たようなファンブック的な本が発行され、それぞれに賛否あるのだが、氏はオタク史において里程標とも呼べるべきものをまとめ形にしているという点で個人的に評価している。今後もこういった書物が残していかれることに期待したい。

ボトムズ・アライヴ Book ボトムズ・アライヴ
著者:岡島 正晃,あさの まさひこ,中島 紳介
販売元:太田出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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ガレージであること後編~海洋堂マニアックス(4)

前回の続き
セブンセブンセブン―アンヌ再び…オタク的セクシャリティという面ではこうした女の子フィギュアが出てくる以前からなかったわけではない。ヤマトの森雪やガンダムのマチルダがそういた、今で言う萌え対象として見られていたのは当時のアニメ雑誌を見るまでもないが、潜在的に他のアニメや特撮(アンヌ隊員!)に向けられていた部分はあろうが、そうしたフィギュアの台頭とともに、アニメも魔法少女ものなど、本来のターゲットである小学生女子以外にも向けられていると思えない作画が見受けられるようになり、OVAの登場と共に美少女アニメといったジャンルが形成されるほど多産され、いまでは少子化も手伝ってか完全に小さなオトモダチと大きなオトモダチ両方をターゲットにした作品づくりとなっているように思う。
こうした流れにエヴァンゲリオンという作品が拍車をかけたとみているのだが、エヴァンゲリオンを制作したガイナックスの前身がゼネプロであり、その総帥が岡田だったことはなんという皮肉だろう。ゼネプロは初期においてその宣伝活動、ミニプロにおけるマスプロ的展開としてSF大会DAICONを企画し、ディーラー制でのガレキの販売とともにオープニングアニメーションが制作された。この主人公の女の子に萌え的要素を見出せるかはともかく、セクシャルに女の子が大きくフィーチャーされ、これ以降の流れを象徴するかのような大きな衝撃を与えたことは様々の記録でも明らかだ。

トップをねらえ2! & トップをねらえ! 合体劇場版BOX (初回限定生産) ふしぎの海のナディア DVD-BOX I 王立宇宙軍〜オネアミスの翼〜 このフィルムで女の子と最初に登場するのが宇宙の戦士のパワードスーツというのも今にして思えばこれもまた皮肉な話だが(ちなみにDAICONで販売されたガレキもパワードスーツ)、ゼネプロはこれというヒット商品を生み出すことなく縮小し、DAICONフィルムが事実上ガイナックスとなった形になるわけだが、そのガイナックスが最初に手がけたのが『王立宇宙軍』という萌え要素の欠如したアニメというのは甚だ意外だったろう。その後主だった作品としては『トップをねらえ!』不思議の海のナディア』となるが、トップはセクシャルな面を前面に押し出した作りながら、最後まで見た鑑賞者には萌えアニメとしての印象はないだろう。エヴァンゲリオンに至るまで、個人的嗜好としての萌えはあるにせよ、作品として萌え的なる要素が実質感じ難いというのは、どういうことだろうか。
海底二万里 それは岡田の宇宙趣味に尽きると判断している。岡田の個人的嗜好まで関与しようもないが、多少のセクシャルなアニメ趣味はあったにせよ、それ以上に彼のオタク的要因はSFが大部分を締めているのだろう。彼がガイナックスに在籍中の作品を見れば、ロケットを打ち上げる王立宇宙軍(昔の打ち上げの歴史的フィルムとラストの打ち上げのシーンは必見!)、トップをねらえ!科学講座の宇宙論的薀蓄、そしてSFファンなら手をつけたくて仕方なかったろう『海底2万里』を原作にすること・・・とそのSFオタクっぷりが作品を重厚なものに仕立て、単なるオタクアニメには収まらない幅を与えたその影響力は火を見るより明らかだろう。
自分はどうもエヴァンゲリオンには乗れなかった。要は個人的に面白みを見出せなかったに過ぎないのだが、その要因は岡田の仕事を追うことで見出すことが出来た。セクシャルな女の子は確かに絵的なインパクトはあるが、作品を見るという行為においてはいわばとっかかりでしかなく、SF趣味的作りこみが、鑑賞というレベルでの吸引力足りえたのだ(もちろんこれは個人的趣味であって、岡田的SF趣味より庵野的作品世界の方が吸引力がある方も多いだろう)。

DAICON当時、岡田は今日のようなフィギュアのアキバ的状況を予見し得ようもなかったろうが、現実にはエヴァ以降ともいうべきキャラクタービジネスの在り様が肥大化し、ガレキがマスだのミニだの、そもそもインディペンデントだのと考える暇もなく商業化へと津波のように一気に向かっていった。今ではガレキも塗装済み完成品が当たり前のように並んでいる。チョコエッグの出現から塗装済みのフィギュアのクオリティが劇的に変化し、これなら女の子もフィギュアも塗装済み完成品のガレキ的なものがつくれると乗ってくるのが当然の商業原理というもので、オマケフィギュアの出来の向上がそのまま塗装済み完成品のガレキの大量生産へとフィードバックしてきた。お金を出せば「自分ではつくれない高嶺の花だったフィギュアが入手できる!」から、「塗装済み完成品を買うのが当たり前!」にまでシフトしてしまった。
うまく出来なくても、工具揃えて、手を塗料まみれにしても、自分でつくる、徐々に形になる喜びがあった。それが、好きな女の子キャラのパンツをみるという動機であったとしても、だ。それで上手く出来なければ、そんなバカバカしいことはないのだが、そんなバカバカしいことにお金と時間と情熱を傾けるのがオタクだと自分は信じている。オタク的趣味がSFなどから美少女方向へと体制がシフトして、つくられるアニメが変わり、ガレキの在り様までも変わってしまっただけでも、女の子アニメだけがオタク趣味じゃない向きには噴飯モノなのに、お金を出して買うだけで趣味になってしまうことに、それはそもそも趣味なのかと、ガレージキットのガレージ性が完全に喪失した現実を前にただただ打ちひしがれるだけなのだろうか。
まともにガレキ一つキチンとつくれない輩がいえたことではないが、憧憬を以てその状況を肌身に感じてきた身にとって、あまりにも情けない現実であり、アニメ作品にいたっては骨太の作品に出会えない状況は、そうしたキャラクタビジネス展開でないと商売にならない現実の上になりたっているもので仕方ないと、諦めにも似た感慨を抱かずにいられない。
ただアニメと違い、模型趣味はまだ自分で作って楽しむ趣味の部分が生き残っている。アニメ趣味は基本的に見ることしかできない。だから好みにあった作品を探すしかない。それが現状のビジネス状況では非常に難しい中、『海洋堂マニアックス』を通して今一度、ガレージ的なるものを模型に趣味に見出してみたくなった。

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ガレージであること前篇~海洋堂マニアックス(3)

前回の続き
『海洋堂マニアックス』とアキバ系と呼ばれる一連のムーヴメントを切り離して考えることは難しいほど、フィギュアというミテクレがオタク的なるモノを代表するものと目されてしまっている現状は周知の通りだろう。そうした状況は理解しているつもりでも、オタクという言葉が生まれ宮崎勤事件によりバッシングの対象となる以前から、そしていわゆる萌え現象に至るまで、オタクの現場に近しい場所にいた一人の人間として、そういたオタク通史を俯瞰してみるに、萌え~アキバ系というものに対する違和というものはとてつもなく大きい。
実際、コミケットに代表されるように、ミニコミュニケーションであるが故にサブ(=カウンター)カルチャーであったからこそ、魅了されてきたわけで、と同時に、そこで扱われているものがマスになる快感―一部の人間しか面白みを見出していないものが突如としてTVなどのマスメディアに登場し「大丈夫かよ~」なんていいながらもニヤリとしてしまう状況―があって、10年前までは確かにそれを夢想してきた。しかしアキバの現状を見ると、同人誌が大通りに面して堂々と売られ、フィギュアが公然とTV画面に映り、歩行者天国はコスプレとカメコで溢れる・・・しかしそれをみるにつけ、どうも期待していた未来とはだいぶ違うなぁという所在無さを憶えてしかたないのだ。

その違和に対する一つの回答が『海洋堂マニアックス』にあった。それは岡田斗司夫がガレージキットに対する想いにつながる。
大手メーカーが商品化しようとしないものを個人や少数の集団が細部へのこだわりを注ぎ込んでつくるキットがガレージキットであり、その製造過程で少量生産で細かなディテールが反映される素材が主にレジンであったというだけで、レジンキット=ガレージキットではなく、ガレージパンクのようなインディペンデントで反体制的なものを指した。岡田が目指したものはそうした手づくりなキットを製品レベルにもっていくことだった。それでゼネラルプロダクツが発足するわけだが、一見ガレージキットのインディペンデント性とは逆行するようでも、インディペンデントなものが流通に乗る面白さがそこにはあったように思う。事実ゼネプロのキャストは出来自体の評判がそんなに高くはなかったと聞く。今で言うメディア戦略が人目を引いたのだろう。
自分がゼネプロに見出した面白さとは、ジェットビートルやメーザー殺獣光線車(写真はコチラよりリンク)といった当時マスプロでは考えられなかったものを、バキュームフォームキットやペーパークラフトで商品化したことであり、その対象が特撮やSFネタだったことだ。ゼネプロ以前もキット化されるネタの多くは、最初のガレキとされるロビー・ザ・ロボットをみるまでもなくSFネタが多く、他には怪獣など特撮ネタで、今日イメージされるような女の子のフィギュアというものは皆無だった。
これまで何度か述べてきたが、当時はアニメ・SF・特撮という垣根はあったにせよ、マニアということでは未分化で、ネットは愚か専門誌も殆どないような時代、限られた情報の中でマニアは他ジャンルでもそれなりの知識を持ちえていた。今ではオタクの殆どが宇宙の戦士を知らないという状況は考えられないだろう。そうした状況下でアニメも現在よりも多分にSF色が濃かった。故にSF的なるアニメをSFとして認めるのか、といったような議論が起るわけで、趣味が広まると同時に細分化し、その増殖初期に必ず論争が起るというのは歴史的必然なのだろうか。
大きな流れでみればヤマト・ガンダム・マクロスと経て、次第にオタクにおけるセクシャリティというものが見えてくる段階に入る。徐々に女の子のフィギュアが出てくるわけだが、このあたりで岡田が憂慮したのは、ガレキの欲求が好きな女の子のキャラのパンツを見ることに傾倒していることだった。長くなってしまったが、これが自分の中の違和に繋がる端緒にあり、岡田の想いに繋がる部分だった。
(つづく・・・)

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模型部だった日常~海洋堂マニアックス(2)

前回の続き
入部して暫くしてガレキブームが押し寄せる。いわゆるガレージキットである。当時そのモノノフたちはホビージャパンやBクラブを部室に持ち込んでいた。『OUT』でもみかけていたし、当時流行り始めていたアニパロなどのアンソロジーコミックやその周辺文化を発信していた雑誌『アメージングコミック』(写真はコチラからリンク)や『サイバーコミックス』などでゼネプロの広告なんかは目にしていた。
最初は高いプラモデルという認識しかなかったが当時好きだった聖戦士ダンバインOVAに登場するサーバインが欲しくて、マックスファクトリーのソフビキットを買ったのがガレキとの始めての接触だった。

ちょうどその1年前にニューガンダムのデカいプラモデルをつくっていたので、この頃から出渕メカに侵食されていたのだが、実際作り始めてみると、ひとつひとつのパーツ、とりわけサーバインはファンタジー世界の中世の甲冑のような意匠が施されているので、その細かなディティールに感嘆したものだった。しかし実際な細かな塗装に苦戦し、はめ込むパーツは素材がソフトビニールなので熱で柔らかくしてからはめる必要があり、塗装後にはめ込もうとしてパニクったりと、いまからすれば最初にしては非常に難しいキットに取り組んでしまったものだと思う。しかも手荒れというかちょっとした皮膚病を患っており(体質によるもの)、それが自分の模型趣味で悪化していると母親に指摘され水性塗料しか使わせてもらえなかったので、乾くのに時間かかるわ、サーフェイサーかけてもヒビが入るわで、出来上がりは散々なものだった。しかしプラモデルにしたって、キレイにバリとって、隙間はパテ埋めして、しっかり塗装してつくれば、ガレキと同じだけの手間と時間がかかることをしり、模型との関わり方が単なるTVのキャラクタの模倣物を手のひらで弄ぶことから、自分なりの解釈で造形していく愉しみへとシフトしていった。

その頃、埼玉県宮原にあるマニアックなホビーショップとしてしられるイエローサブマリンの支店が最寄駅近くにできた。風俗街の只中にあるというのも奇妙なロケーションだったが、模型部の連中と放課後イエサブに行くのが一時期定例になった。イエサブ以外にも模型誌に広告を出す鈴木模型(通称スズモ)が近場だったなど、かなり恵まれた環境だったと今にして思う。
イエサブは模型店に良くあるゴチャゴチャしたイメージを払拭し、白を基調とした明るい店内だった。そこにこれまでみたことのないガレキ用の細かなパーツや工具が売られていた。当時ミニ四駆がブームになったこともあって、ニッパーやピンバイスなど、小遣いを溜めて安物を最低限そろえるのに必死だった(本当はそのお金でキットが買いたいのだけど)。それで思い出されるのは、ガレキユーザーの必須アイテム、オルファのデザインナイフ。細かな作業に向いた小型の替え刃式ナイフで、模型部の連中はみな携帯していた。ある美術の授業で、彫塑系の造形(要は工作)の際、男子20人程のウチ、5~6人がいっせいに同じオルファのアートナイフを徐に取り出し作業する姿を見て、美術の先生はあきらかに「なんだこいつら」という目をしていた。当時学内はまだヤンキーというものが公然と立ち振る舞っていて、男子学生の凡そ8割はボンタンをはいていた。教師の暴力は日常化し、先輩後輩関係のもつれから来るリンチ騒動も時折起っていた。それが日常だった(高校へ進学するとそれが異常だったとしったと中学時代の同級生はみな口々にいったものだった)。そんななかでガレキなんぞといっている連中は異端だったわけだが、不思議といじめられたりしなかったのは、放課後の活動箇所が駄菓子屋・ゲーセン・河原と一緒で顔見知りが多く、お互い持ちつ持たれつで妙な連帯感がある部分もあったからだろう。それに、ヤンキー崩れにオタクがいたのも大きな要因だろう。未だに忘れられない出来事がある。ある時学校の廊下で掃除をしているとチリチリリーゼント崩れの薄い眉毛の知らない輩がこっちに近づいてきた。一瞬怯んだが向こうは間髪いれずに一言。
ねぇ、ブロッケンのソフビ買わねぇ?
パトレイバーが流行っていた頃で、そいつは自分がパトレイバー好きなことを聞きつけ(またも出渕メカ…)やってきたというのだ。ブロッケンはプラモの出来が良かったしソフビ欲しいほど好きでもなかったので断ったが、それ以後、学内でフツーに話す仲になった。
そんなある日、ワンフェスに行こうという話が持ち上がった。その頃、模型部のPR映画をつくったのが切っ掛けで自主制作映画が面白くなってきたところで、それ以外にも既にコミケ通いがはじまっていたこともあり、ワンフェスグループとは仲は良かったが、映画グループの方との関係が密になり、ディープになっていく周囲の模型趣味とはちょっと距離が出来始めていた。TRPGの仲間に誘われたりと兎に角趣味に忙しい日々が続く中、そんなタイミングで卒業を向かえ、高校では映画と文芸に明け暮れた。

その最中もプラモを作ったりはしていたが、大学に入ると美術系とあって、周りでヲタ系のモデラーはフルスクラッチ作っちゃうようなツワモノ揃い。そんな連中が自分の部屋に遊びに来て自分のつくったもの見られたくないし、こんなにやってるのにとにかく下手ッピだったので、中学生くらいからつくったものを飾るということはしなくなった。ある時人から聞いた話、あの人模型のこという割りにつくったものみたことないけど、知ったかじゃねぇの?・・・と自分のことをそう囁かれるほどだった。部屋には工具やガレキのハコはあるのにね。
見せる云々というのは結果の話で、いいわけではなく、模型というのは造っている時が楽しいのだ。それは、造り込もうと思えば思うほど。だから、社会人になってもその楽しみに浸りたいと思う反面、やりこまないといけないから時間がかかる。その時間は殆どない。やるからには、ある一定の時間、きちんと確保しなければならない。そうやって、ついつい延び延びになって、5年は経つだろうか。最後につくったのはとある戦車。それはいまでもこの世の何処かで唯一、飾られつづけている。


・・・というわけで、こういう道のりを経てきた人間には、現在のフィギュアの状況というものがなんとも理解できないでいる。大量生産される塗装済みフィギュアは、まぁつくる時間がないことへの代替品としてならありうるが、そもそもガレージキットなのか? 次からは、そんなことを、『海洋堂マニアックス』を読んで思い返した、以上の思い出話とリンクさせて、感慨を述べたいと思う。
(つづく・・・)

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模型屋が溜まり場だった頃~海洋堂マニアックス(1)

海洋堂マニアックス おまけフィギュアブームを生み出した「世界最狂造形集団」の功罪この度『海洋堂マニアックス』について雑感を述べるにあたり、どうしても欠くことのできない出来事があるので、本とは関係なくなるが、興味ある方は読んでみて欲しい。


小学生時分からの学生時代に多くの時を過したのが模型屋(模型店でもホビーショップでもなく)であり、模型屋こそが駄菓子(ぼったら)屋やゲーセンと並んで今日の自己を形成する最重要ファクターの1つだったのだ。
かつては駄菓子屋と似たような位置づけで町のあちこちに模型屋が存在した。駄菓子屋の軒先にアップライトのゲーム台が置かれていたように、プラモデルを兼業する駄菓子屋や文房具店は少なくなかった。小学生は放課後になると自宅の居間にランドセルを放り投げて駄菓子屋へ向かう・・・ということは同時にゲーセンへも行くことになり、模型屋にいくことでもあったのだ。
こうした状況が生まれた背景には、ガンプラブームが多分に関与しているのだろう。バンダイのガンダムのプラモデルである。ガンプラの出現に以前にも駄菓子屋においてある玩具の一種として戦艦や戦車のプラモデルはあったろうが、ガンプラが売れるとなるや否や、そのスペースは一気に拡大していった。
ブームが落ち着いてもプラモデルのスペースは確固たる位置を確立し、当時のガキにとって無自覚にも駄菓子とゲームとプラモは未分化になっていた。

当時はまぁ喰い散らかすというか、ぼったら喰って駄菓子つまんでチェリオ飲んでゲーム売ってプラモ買って家でファミコンやってプラモつくる・・・そこまでデラックスな1日は経済的にもそうなかったにせよ、そんなもんで囲まれた毎日だったことは間違いない。まさに物欲のテトリス状態。いまの同年代の人間が大人買いをする、その消費における価値観の基盤はこのころ形成されるのだろう。
そんなガキ的飲む打つ買うの日々。プラモデルというとガンダムのMSV(モビル・スーツ・ヴァリエーション)が好きで、テレビマガジンなどの子供向け雑誌の付録のガンダム図鑑なんぞをみては、大河原邦男チックにカドが剥げたように汚そうとしたり試みていた。その頃はホビージャパンなんて雑誌は知らないものだから、近所の模型屋のプラモコンテストの大賞作品を眺めては見よう見まねでやってみる程度だった。しかも全然うまくできないし。当時は模型屋にMJ(模型情報)という薄いが安い情報誌が売ってて、模型好きな輩からクラスの休み時間にみせてもらったりした。しかし自分は模型にだけ特化していたわけではないので、内容は覚えていない。当時は寧ろ、ファミコン雑誌やコロコロに比重が傾いていた気がする。
ガンダム以外にも模型屋にはタミヤのAFVもあったし、ロボダッチ童友社の城とか屋台のリヤカー、ダンプ松本やマネージャーの若松などのプロレスものまであった。自分がどれがすきとかってのはあまりなくて、無自覚にその時興味あるものをつくっていた。

しかし中学に上がる段になって一つの転機を迎えた。放課後模型屋に集うようなクラスの仲間の間で、中学には模型部があるという噂が流れたのだ。放課後学校の一部を使ってプラモつくってりゃいいなんて、なんとステキな部活なんだ!?
中学へあがると同時に即入部した。しかし当時騒いでいた連中は殆ど入部することがなかった。なんとなく色気づくというか、周りに流されたか、運動部へと進んでいった。
知った顔数名の他、入部して初めて顔を合わせるヤツもいて、その中にツワモノ、現代のモノノフが混じっていた。入部前から月刊『OUT』を買っていたり、コミケだと騒いでいた自分が言えた義理ではないが、このあたりから確実に真っ当な学生の道からそれ始める。これまではまぁこどもの遊び。しかしそれをず~っと辞めないで続けるとフツーじゃないらしい。

入部して暫くしてガレキブームが押し寄せる。
(つづく・・・)

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近況報告

更新が滞って申し訳ない!
ココログに移行してきて、これまでの記事の整理が付いてないことが、新奇投稿の妨げになっていた。
ここにきて、カテゴリーの整理をし、シリーズ連載をまとめ、見易さをはかっている。
徐々に新規投稿を増やしていくので(本が好き!のUPもたまってるしね)、
今しばらく待たれよ!

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