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大日本人は監督ばんざい?

気が付けばもうすぐGW。それも過ぎれば1ヶ月で6月がやってくる。
このブログでは映画のことを書いているにも関わらず、年間で映画を殆ど見ない人間なのだが、たまに劇場に足を向けようかと思わせる2作が6/2に同時公開される。北野武の『監督・ばんざい!』と松本人志の『大日本人』だ。
TAKESHIS'みんな~やってるか!『監督・ばんざい!』の方はざっと概要を見るに、『TAKESHIS'』同様『みんな~やってるか』リベンジ的意味合いが濃そう。みてみたら大どんでん返し・・・というのを期待しているが、問題は『大日本人』。
内容に関して全く公表されていないというのが宣伝効果となっているようで、『監督・ばんざい!』の公開日と被ることもあって、第二の北野的な注目をされているフシがある。今回はこのことについて思うところがとても大きいので述べさせていただく。

まず、『大日本人』は松本人志第1回監督作品となっているが、第1回監督作品は『頭頭』ではないのか(後日談:監督は山口将哉なのでクレジット上第1回監督作品で間違いはない)。もしかしたら北野式に『頭頭』リベンジかとも思ったが、いまのところそういった兆候がみられない。
まぁそれは個人的関心としてどうでもいいことで、仮に、松本が第二の北野になるべき作品を作り上げたとして、果たしてそれをダレが、引いては何人の映画関係者が第二の北野的作品と認知できるだろうか。
ソナチネご存知の通り、北野映画の評価とは逆輸入であって、日本人が自国で評価したわけではない。今となっては代表作とされ北野映画ベスト1にあげる輩も少なくない『ソナチネ』だが、公開当時評価していたのは淀川長治以外に記憶していない。
もちろん、リアルタイムではなく後追いでビデオを見るなりして感じ入った者や、公開当時は発言力のなかった映画関係者もいることだろう。そうだったとしても、ここまで多くの人間が評価する映画なら、公開当時もうちょっとなんとかならなかったのだろうか。
REX 恐竜物語 初回限定生産エディションそれくらい、公開当時の状況は悲惨だった。殆どインターネットの普及してなかった時代、北野ファンクラブと新聞の劇場情報から公開情報を得、歌舞伎町の劇場へ向かった。そこは同じ名前で1・2・3とハコ分かれている劇場で、名の通った映画館だからさぞ広い劇場かと思ったら、1から3だか4のハコに変更になったとの掲示があり、入ってみると異様に天井の低い、百人も入ればいっぱいなくらいのキャパだった。初日か翌日だったと記憶している。こんな空間で上映されるのかという驚きと、この空間に1000円ほどの値段を払う腹立たしさったらなかったが、余計に神経を逆撫でさせたのは、安達祐美が歌う『REX恐竜物語』の主題歌が休憩時間中エンドレスで流れていることだった。
その男、凶暴につきREXの製作はソナチネ同様、奥山和由であることから、ソナチネという映画の内容からは想像だにできない異様な劇場空間が生まれたといえば納得がいくかもしれない。奥山は『その男…』で北野を監督に大抜擢し、ソナチネに至るまで北野映画をつくり続けられるよう屋台骨になってきた人物といって過言ではないだろう。
というのは、興業的に振るわない映画を4本もつくれたというのはまず常識では考えられない。しかも淀長以外に公に評価する人間がいない状況で、4本つくれたというのは奥山の人力なくしては成し得なかっただろう。故に松竹本社からの突き上げが強く、遂にソナチネを以て北野との関係が途切れる。
HANA-BI奥山という存在があったからこそ、あのソナチネが存在し得、その後の『HANA-BI』にも繋がったのだが、当時奥山は映画監督として竹中直人を見出す他、カンヌで賞を取った今村昌平の『うなぎ』も手がけているが興行成績に結びつかず、94年の『RAMPO』では監督として招聘した黛りんたろうと衝突し自らか監督した2ヴァージョンで劇場公開され話題を呼び興行的にも成功を収めたがそのやり口がさらに傷口を広げ、98年に松竹を解雇されている。ちなみにソナチネの公開は93年。
北野映画はというと、ソナチネ以後テアトル系の単館ベースの公開となり、この時期に『みんな~やってるか』が公開されている。

奥山は解雇後チームオクヤマを結成し、『地雷を踏んだらサヨウナラ』『TAIZO』『IZO』など話題作・ヒット作を生んでいるので結果オーライには見えるが、日本初の映画投資ファンドFFEは3作目途中に解任劇により反故になってしまっている。北野映画もHANA-BIでは配給にヘラルドが付いてロードショー公開されたが、そこまでの道のりには悲惨そのものであり、北野作品がここまで評価されているにも関わらず、その根幹を担った奥山には現状を以てしてもあまりにも報われていないと思うのは自分だけだろうか。
自分が懸念しているのは、極個人的な感想として松本の映画が衝撃的だったとして、そう思った映画関係者が素直に表に出せる状況であり、仮に興行的に振るわなかったとしても、映画を成立させるために尽力した人間を評価し、引き続き映画をつくらせるだけの土壌が今の日本映画界にあるのだろうか。大日本人がどういう人間が関わっていて、今後松本映画がどうなっていくかなんてわからない。ただ、現状というのは、ソナチネの頃と何ら変わっていないと思う。大日本人を海外の映画祭に持っていくという話ももう出来上がっているそうだが、そうでもしないと評価できないというのが現実だろう。後々、松本映画が数作を経て海外で評価されたとして、その時既に初期段階より尽力された人間が干されていた・・・なんてことが容易に想像できる。そうなってからでは遅いのだ。北野作品ではソナチネは生まれたが、もしかしたら、その人間が干されたことで、松本映画における重大な作品が世に出ることはないかもしれないし、そのことで海外の評価も生まれず、それ以後の映画がつくられないかもしれない。
再度いう、そうなってからでは遅いんだ。奥山の悲劇はもううんざりだ。しかしそれに対して自分に出来ることはなにもない。黙って、旧作が良かったら何度もみて、新作が出来たら劇場に足を運ぶことくらいだ。
ただ今の段階でいえるのは、自分にとって大日本人がそう願ってやまない作品であってほしいことのみである。

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