ルー炎上! 雑感

ルー 炎上! 恥かけ、汗かけ、涙しろ

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書評/エンタメ・タレント




※トラックバック頂いたルーマニアさんで知ったルー語変換。以下のレビューをルー誤変換してみた。中盤なかなか変換できる語がなかったが、後半はなかなか笑えるかと。というわけで、↓をクリック!
http://lou5.jp/?url=http://sye.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_488f.html

ルー炎上!って、スパについでカレー屋でも爆発したのかと思ったが、んなわきゃない!(タモリ) ルーはルーでもルー大柴だった。
実はルーさん、生でみたことがある。ラジアメという一部で伝説化しているラジオ番組のイベントに登場したのだ。ルーさんといえばコサキンとの絡みで知られるようになったわけだが、小堺(なぜルーだけ敬称を略さないのか、オレ?)の師匠に当る欽ちゃんの影響で放送作家となった鶴間氏(本当敬称がおかしいブログだ)がラジアメの構成・出演をしていた流れだと思われるが、当時ルーさんは『俺がルー大柴だ』という「港のヨーコ横浜横須賀」をパクッたような歌を出していて、腰をクネクネ熱唱していた。と同時にこの時期『ライフ・イズ・ワンス』という本も出したばかりで、しっかり宣伝して帰っていった。

『ライフ・イズ・ワンス』は興陽館書店から発売されていたように記憶している。この出版社はTBSラジオの番組本を数多く出版していて、ラジアメの本も興陽館だったように思ったら、amazonでは日音となっていた。日音はTBSの100%子会社で、なんか、いろいろあんのかもしんない。
閑話休題。『ライフ・イズ・ワンス』は読んでないのだが、今回『ルー炎上!』を手にしてふと思い出し、読んでおけばよかったなぁと思った。学生時代に出会った人間で『ライフ・イズ・ワンス』を古本屋で見つけて買ったというヤツがいた。そいつに『俺がルー大柴だ』を探しているが知らないか?と問われたこともあったっけ。。。
全然閑話休題になってない。閑話休題。『ライフ・イズ・ワンス』は読んでないのだが、ルーさんの半生について書かれたもんだとばかり思っていた。しかし『ルー炎上!』によると、半生を告白するのはこれがはじめてだとあった。じゃあ『ライフ・イズ・ワンス』にはなにが書かれているのか!?

そんな疑念を抱くほど、本著『ルー炎上!』には赤裸々に自身のことが、もちろんプライベートな心情・詳細は除いて書かれている。およそ200Pほどの中に同じことが何度も繰り返し出てきて、構成の拙さ・・・というか構成なんて無視した内容となっている。でもこれが逆にルーさんらしさが出ていて、本文の内容に説得力を持たす助けになっている。
所々太字になっていたりと、ルーさんの訴えている部分の読みやすさ=キャッチーさがタレント本らしい。どうも最近ルーさんがブログ(ルーブログhttp://ameblo.jp/lou-oshiba/)をはじめ若い人の間で再ブームとなっているそうで、それで本著も書かれたようだが、まったく知らなかった。ルーさんはコサキンがらみでその名を目や耳にする機会があったし、TVのゴールデンで目にしなくても、ルーさんなりの身の置き場で活躍されているとばかり思っていたからだ。
しかし本著を読むと仕事がなく結構深刻だった時期のようで、現在のマネージャー氏と侃々諤々することでもう一花咲かせようということになり、新しいことへもチャレンジし、ブログを初め火がついたということのようだ。その前の大ブレイク、その『俺がルー大柴だ』とかを出していた時期までの苦悩が綴られ、そこから這い上がった精神的な内容が若者から支持を集めている所以らしい。
先にタレント本らしいと見た目のことをいったが、精神的な内容でも、本著でも伝記を例にして述べられているが、ルーさんだから、ルーさんらしいなぁと、タレント本として読まれるなら問題ないのだが、本当に自殺とか悩んでいる人に影響しちゃう場合、どうなんだろうかとも思った。確かにタレント本では納まらないナニか得るものがあるとは思う。それはそれで読者の生きる糧になればいいのだが、エスカレートすると洒落にならないことになりかねない。ルーさんが旅に出る前、悩みの末心療内科に行ったことがあるそうで、処方された薬を見てお姉さんが、そんなもん飲むなら走り回って木にぶつかってこい!みたいなことをいって、その通りにしたらルーさんスッキリした、とあった。自分自身心療内科の通院経験があるのだが、確かにあそこに通っていると治るもんも治らない気がしてくる。自覚があって自ら病院へ通える内は大丈夫と思っていたが、通うと決心する時点でそれなりだったのかもしれない。しかしルーさんの場合それでよかったのはルーさんだからだったわけで、本著を読んで影響されて心療内科への通院をやめ、取り返しのつかないことになるかもしれない。
そうなったらそれはそうなった人間の問題であって、本著になんら責任はない。ルーさんだって悩みを抱えてる人はトゥギャザー木にぶつかれば治るさ!なんてことはいっていない。しかし、啓発的内容を伴う本というのはこうした危険性と常に背中合わせだ。もちろんそれに勇気付けられる人の方が俄然多いし、そういたルーさんのキャラが癒しになっているようだから、その効用は絶大なのだろう。その意味では非常に興味深く勢いのあるタレント本であるのだが、そういう発言が書かれているんだったら、飽く迄タレント本としての枠に収めるよう、フォローが付け加えられるべきじゃないかなぁと思った。その辺注意不足な気がする。カッ!

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「時間ですよ」を作った男―久世光彦のドラマ世界 雑感

「時間ですよ」を作った男―久世光彦のドラマ世界

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書評/ルポルタージュ



故・久世光彦のドラマ全盛期といえば、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」といった水曜劇場のホームドラマ群となるわけだが、年齢的にその時代は自分が生まれて間もない頃で、記憶には殆ど残っていない。自分の年齢的に言えば、「せんせいの鞄」などのホームドラマ以外を除けば、本著でも触れられているが、お茶の間的ホームドラマというものがトレンディドラマという潮流により表舞台から引き摺り下ろされ、その後にリバイバル的に東京電話のTVCMなどでスポット的に復活したものを見るに止まるだろうか。
しかし自分にとっては、寧ろ間接的に久世ドラマで育ったと思しき、こういってよければ久世チルドレンによる様々のジャンルに潜在するエッセンスから感じえたものが、実は久世光彦という一人の演出家に結実したという衝撃の方がより、久世作品というものを意識させられるものだった。それは作り手側が恐らくは久世という演出家を意識してなくても、ちょっとしたところに現れるものだ。


思い出されるのは、ダウンタウンやウッチャンナンチャンが出演していた「夢で逢えたら」という番組中のドラマコントのコーナー。東京は根津の老舗扇屋で家族とその使用人?(的な扱いの拳銃を発砲する警察官、松本扮するガララニョロロ)が繰り広げる「いまどき下町物語」というドタバタホームコメディ。舞台設定も明らかに久世ドラマといったもので、メインのセットが食卓。しかもカメラ位置手前には誰も座っていないという久世スタイル。
松本がどこまで「夢で逢えたら」の番組づくりに関わっていたか知らないが、ベタな関西よりの笑いが好きなようにみえて、実は竹中直人、いとうせいこう、シティボーイズなどが参加していたRGS(ラジカル・ガジベリビンバ・システム)に影響を受けていたり、自著においても「ひょうきん族」的な笑いよりも「ドリフ」的な笑いが好きだといったことを書いており、ウチワ受け的なシュールさ・わかり辛さよりも、スラップスティックなシュールさ、脈略の無さそうに見える不条理さを嗜好しているに思う。本著にもあるが久世は「8時だよ全員集合」の演出も手がけていることに妙な符号を感じてならない。


話が逸れまくった。で、以上に関わらず他にも随所に久世を感じる瞬間というものがある。詳細を述べればきりが無いが、特に昭和的な家族とその周辺の在り様というものが、ドラマのセットなどで独特の雰囲気を醸し出している、と取れる瞬間。昭和レトロというキーワードで昭和的なる食卓も多くメディアでは散見されるが、久世のそれとは、感覚的なものなので言葉で表現できないが、明らかに別物に感じるのだ。
本著から初めて知りえたことなのだが、水曜劇場放映時にして、ああした食卓の風景は既に忘れられようとしていたものであり、時代は既に団地などでの核家族化が叫ばれていた。同局ということもあり、番組内でウルトラマンとリンクするという件があったが、そういえばウルトラセブンで象徴的に撮影されていた日常の風景は団地だった。


前置きが長くなりすぎたが、そんな自分と久世演出の関係にあって、本著は自分が振り返れなった時間の空白を埋めてくれるものとなった。と同時に、その空白が埋められることで、久世演出が輝いていた時代と思想、著者なりに久世演出を斬る事で、読者である自分なりの久世作品を見る方法論というものが見出せるんじゃないかという期待があったのだが、そこまでに至る事は無かった。
久世作品をほぼ時系列でまとめるだけでも大変なことだとは思う。一つの時代の流れを追うことで、その時々の記憶が読者それぞれに思い返されることだろうし、記憶の無いものには想像を掻き立てさせるものがあるだろう。しかし、久世本人と親交があった著者が膨大なインタビューからまとめられた割には、久世本人の言葉が少なく、著者から見た個人史観といった色合いが濃く、それも表面だけをなぞったような当たり障りの無い感慨に終始している。客観的に時代を俯瞰するには主観は排除された方がいいとは思うが、ならもっと資料的な側面が欲しい。多くを久世本人の言葉で組み合わせることで纏め上げることだって不可能ではないはずだ。関連レコードのジャケットなども掲載されているが白黒の小さな図版では物足りない。「あった!あった!」的に当時を振り返るにはいいツールかもしれないが、どっちつかずの中途半端な内容に、過剰な期待をした自分が悪いのか、後半読み進むにつれ猛烈な物足りなさでいっぱいになった。
敢えて具体的には挙げないが、久世関連の書籍はこれ以外にもいくつか出ている。個人的な興味から時間をかけて主要なものを読んでみたいが、それから、それらと比較して本著のポジションというものを捉えてみたいと思う。

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将軍様の鉄道 雑感

将軍様の鉄道 北朝鮮鉄道事情

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書評/旅行・娯楽


奇しくも南北に鉄道が通ったというニュースが入ってきたばかりのUPで、そのタイムリーさに驚きを隠せないが、本著は北朝鮮の鉄道事情について書かれた1冊である。恐らくここまで北朝鮮の鉄道をピックアップして掘り下げた本は他にないように思われる。中身でも触れられているが、国の事情が事情ゆえ、詳細に調べられないからだろうが、それにしても過去の断片的な資料からなんとか筋道を立て、鉄道路線図まで作成してしまった、著者の鉄分の多さには脱帽である。
車両のページでは図版が用いられているが、取材できなかったものに関しては、切手のイラストで紹介されていたりと、涙ぐましい努力の跡がなんともほほえましい。

しかし、斯様に過酷な資料集めにあって、添付のDVDの画像の鮮明さはなんなんだろう!? 「北朝鮮の車窓」からという某番組のようなタイトルに、石丸謙二郎のナレーションを期待してしまうが(溝口肇のテーマソングまでは望んでないが^^ゞ)、BGMのない、淡々とした20分ほどの映像だった。オマケだから凝ったつくりを望む方がどうかしてるし、資料という点では音楽やナレーションは雑音でしかない。そう、本著の図版からは想像できないほど、はっきりくっきり映っていて、資料としてこれはなかなかの映像ではないだろうか。ニュースバラエティでみる北朝鮮の映像とは比べ物にならない。そりゃあれは潜入取材だからといえばそれまでだが、特に車窓からの映像は圧巻で、郊外の荒涼とした風景に突如としてプロパガンダの掲げられた駅ホームが登場したり、平壌の薄暗い地下鉄駅や、ビバリーヒルズ的バカみたいな青空の下、緑の中を走る路面電車等等、現在の北朝鮮の象徴的なギャップが楽しめた。

もちろん、本自体も鉄道という切り口でよくまとめられたとは思うが、どうしても物足りなさは残った。本のつくりの割りにページ数が少なく、内容の重厚さに欠く。そりゃ情報が制限されている国だし、鉄道という側面でまとめてるのだからしょうがないとは思うが、やはり政治的な側面とは切り離せない国柄なので、日本統治時代から現在に至るまでの政治や思想を絡めた濃さが加わればよかったかなぁとは思った。でもそこは不可避とはいえ、本に出来ない内容になっちゃうのかなぁ。。。
鉄道という観点でいえば、本著を見るまでも無く海外からはロシア・中国といった大陸の内陸部から北朝鮮へ入国するのは陸路だから当然だが、北朝鮮へ入国する手段としてはなにも陸路ばかりではない。空からは首相クラスで無いとムリだが、観光ということでは韓国からのツアーを用いた海からの入国が可能である。中国側からの鉄道での観光もできるようだが、北朝鮮の南東部、韓国に跨る金剛山は観光地・景勝地としての歴史が長く、かつては日本人も深く関わり、また会談など政治の舞台にも幾度となくなってきた場所である。こうしたことは海老名ベテルギウス則雄『金剛山研究』というミニコミ誌ながら分厚い旅行記(というか立派な研究)にまとめられている。旅行記とはいえ政治的な内容が濃く、ミニコミならではのボーダレスな書かれ方に重厚感がある。日本人が金剛山に鉄道を敷設する件は鉄分の多い方にも十分楽しんでいただける内容かと思う。

最後に、子供向け電車ムックのようなデザインを狙ったのかもしれないが、それにしても表紙がダサすぎる! 頼むぜ新潮社!!

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佐藤優『自壊する帝国』雑感

※読了後の感想を追記しました。

この間、ちょっと触れさせてもらったように、本が好き! というプロジェクトに参加していて・・・まぁ献本の変わりに感想書いてちょうだいと。

自壊する帝国
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書評/社会・政治


最初期のラインナップは5冊で、その中では本著『自壊する帝国』しか肌にあいそうになったので、とりあえず記念だからと分厚くともお願いしたらこがもう大変。現時点で感想UPのタイムリミットはとうに過ぎているのだが、ぜんぜん読み終わってない(^^ゞ
献本お願いした後でその重量に失敗したかなぁと思ったのだが、後日システムが整っていなかった関係で再度申込みしなおさなければならなくなって、怖気づいて再度申込みしなかったのだけど、どうも主催側が配慮してくれたみたいで、見事に1冊ドカンと贈られてきたわけで・・・こりゃ大人しく読むしかないとパラパラページを繰ると、これがなんとも面白い!

本著の概要は画像をクリック頂ければ上手な粗筋が読めるのでそちらを参照して欲しいが、まぁ若き日本人外交官がロシア(当時はソ連)に赴任してペレストロイカを目の当たりにする、というノンフィクション。
この著者、実は容疑者で、「北方領土支援にからむ偽計業務妨害」とかなんとかって容疑に掛けられてて、鈴木宗男と関係もあったみたいですわ。
とにかく外交官としてアクティヴな諜報活動がソ連側から疑われまくりで、秘密警察(KGB以外にもいろいろあるんだってさ、へぇ~)にマークされまくり。当時のソ連、つーか共産国家はアメリカ側の資本主義はもとより、非科学的な宗教を否定してたようで、ロシア正教とかも否定的に研究するという名目じゃないとモスクワ大学でも扱えないし、それに関わる書籍なんかも国会図書館に封印状態で市井では思想統制されている。まさに焚書状態で、神学を学んでいた著者はチェコルートとか人脈を駆使してそうした反体制的な書物を入手するんだけど、外務省の留学生なんてマークされまくりな存在なのに、そんな書物の遣り取りとか、ハデに動く動く。
例を一つ挙げれば、モスクワ大学で神学を学ぶには先述のように宗教的倫理観の否定をしなければならない。論文や弁論で否定する事例を挙げることで、他の学生は共産思想以外の意識を得ることができる仕組みになっている。とはいえ論文や弁論の最後は必ずマルクス主義マンセーで〆られる。それでも発表した学生を他の学生や教授はボロカスにいうんだけど、共産思想以外が取りざたされるのだから、反体制的な思想の側に立っているというポーズをとる必要がある。他の学生や教授の中に必ずKGBや秘密警察にリークする共産党員が混ざっていて、常に動きを監視している。
日本からの外交官がそんな大学のゼミに参加すること自体イレギュラーであり、だからマークされまくりなのだが、よくやると思う。おかげでこうして本になって我々がしるところとなるのだが。
そこまでロシア人の懐にはいれる著者の人徳には感心するばかりだが、人徳だけではなくそこまで入り込めるこの人の能力の高さは目を見張るものがある。さらっとロシア語をマスターするなんて書いてあるけど、いろんな国の言葉をまるで何もなかったかのようにマスターし、原文で本を読み漁る。兎に角頭がいい。こういう人をインテリというんだなぁと心底思った。だからもちろん日本語もうまい。感心するほど読みやすく適切な文章を書く。「異能の外交官」なんて呼ばれて呼ばれてるようだが、ボトムズのキリコっぽい。まさに異能生存体 。あのアニメも共産的な臭いするし、ボトムズにインスパイアされたと思しきガングリフォン というゲームも舞台はロシアだったなぁ。

映画ゴッドファーザーでパロディにもなった、戦艦ポチョムキン の乳母車が落ちる階段での、とある日本人外交官の濡れ衣エピソードなんかは、暗躍する国家というものが如実に現れていている。
共産主義体制とか秘密警察とか赤い工作をアツく感じる向きは是非一読されたい。大変だ!キミの教科書も真っ赤っか!!
さて、自分が読了するのはいつになることやら・・・
・・・それにしても、表紙がダサいんだよなぁ。ノンフィクションの本ってなんでこうオッサン臭いんだろうか? ※読了後追加文章を書くなり、この記事を書き直すなりする予定。ちなみに、このブログのほかの記事でも顕著なように、文脈を追う文章は書かないので、書評(だと思って書いてないけど対外的に)として内容が覆ることはないので、まぁ雑感は以上の通りッス。

※読了後の感想は↓

続きを読む "佐藤優『自壊する帝国』雑感"

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知っておきたい仏像の見方~雑感

知っておきたい仏像の見方
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書評/芸術・美術


仏像の見方がわかったのは当然なのだが、それよりもなによりも、自分があまりにも仏教に対して無知であることに驚いた!いや本当。
どれだけの方がどれほどまでに仏教に精通しているのか知らないが、学校の授業で仏教伝来とかやった記憶があるにも関わらず、大乗仏教と小乗仏教の違いも記憶にないほど身についていない現実を突きつけられ、オレの学生生活はなんだったんだ?と疑念を抱かずに入られなかった。殆どの方もそうでしょう・・・多分(一緒にするなって?)。
ちなみに、小乗仏教は初期の仏教で原理主義的なもの、大乗仏教は大衆化した大風呂敷(?)のもの。密教も大乗仏教なんだってさ。知ってた? 密教っていう響きから、厳密なイメージあったけど、違うんだって。「密」って字がいけないんだな・・・って密教にダメだしする自分。

見仏記元来入門書の類がキライ()な自分がなんでこの本を手に取ったかっていうと、MJことみうらじゅんの影響が大きい。MJは仏像のことを怪獣、三十三間堂のことをWe are the worldと例え、自分の中で仏像に少し興味を抱いたのだけど、自分の雑感としては怪獣というよりキン肉マンだった。
*入門書がキライな理由:だって入門書でその道に入ってく人って皆無に等しいでしょ? ヌルいことしか書いてないし、本当にその道のこと知りたければ、ムリしてでも勉強して専門書を読むはず。大まかに知ってズルしたい人の為の本だと基本的に思ってる。わかりやすいってことは、わかりにくいことを省くってことだが、凡そその省かれたところが大事だったりする。
これは世代の違いが大きいのかもしれないけど、旧約聖書の概要を知ったときも、銀河英雄伝説とかガンダムファイブスター物語みたいなもんだなぁと思った。何代にもわたる断ち切れぬ運命に翻弄される人々の骨肉の争い・・・みたいな。
仏教は広く伝播するために本来の厳密な教えから段々腑抜けてユル~くなっていく。最初は悟りを開くには厳しい修行を経ないとダメなんだけど、それじゃオレにはムリだわと、一般人が諦めちゃうんで、在家もOKよってな感じになっていって、しかも願いは来世とか先の未来に適うものが病気も治っちゃうかもよ~ってな具合に現世利益的になっていく。仏像も最初は偶像崇拝禁止してたのに、一度まぁいいかとなるとみんな作りはじめちゃって、中国や日本と広まっていくごとに、その土地土地の信仰がMIXされて、えらいヴァリエーション豊かになっていく。
こうした過程を経た仏像ってもんがなんだかキン肉マンの超人ぽいなぁと。千代の富士流行ったから、あだ名に「マン」をつけて「ウルフマン」みたいな発想。あと他の教えとか悪に対して懲らしめるといった勧善懲悪なところもそれっぽい。不動明王、怒りの火炎…毒ガス攻撃だブロッケンマン…といった感じにマンガカルタになりそうなほど、役割がハッキリしててわかりやすい。

学校の勉強では全然身にならなかったことでも、本著からすんなりと感覚的に理解することができたのはとても大きかった。仏像の見方は同時に、仏教の知り方でもあったのだ。
大雑把だから、細かく見ていけばキン肉マンだなんていってられないのかもしれない。しかし先ほどの注釈ではないが、自分自身仏教の道を目指すつもりはないので大まかに知ってズルするには格好の本だった。
これからは寺めぐりも楽しくなるかもしれない。来日している超人を見に出かけてみようかなぁ。。。

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海洋堂マニアックス~雑感

海洋堂マニアックス
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書評/ルポルタージュ


チョコエッグで一気に注目を集めた海洋堂。これまでの食玩といった枠では収まらないハイクオリティなオマケフィギュアが出来上がるには、マニアックなまでのディテールへの執着があればこそ。平凡な下請けオマケ玩具メーカーではないからこそ離れ業をやってのけたわけで、まぁ当然そこには尋常ならざる人間がいて尋常ならざる歴史があってこその必然だった。
そう、本著は帯にも記されたように、知らなくても支障を来たさぬ内容であり、それは逆を言えば、一般的には嫌悪を以て迎えられるべき事象といえる。今日でこそアキバ系などといわれるように好き嫌いはともあれ知られるところのものとなってはいるが、それまではアングラという言葉が相応しいほど、ガレージキットは認知されていなかった。
ガレージキットという言葉を抜きに本著は愚か海洋堂そのものは存立し得ないし、ここ20年ほどのオタク文化に於いてをや語ることもできないだろう。オタク文化の代表格と言えるアニメというメディア以上に、SFや特撮といったオタク趣味にその端を発し、アニメ絵と目される女の子のセクシャリティへと堕する(向かうではなく、敢えて「堕する」といわせてもらおう)時代の風をモロに受け、これほどまでに揺れたものは他になかろう。
本著ではガレージキットの歴史俯瞰に1章割いている。そこでは海洋堂と切っても切れないゼネプロにも触れられているし、アニメ的なるモノへの接近も述べられている。ガレージキット流布(=DAICON以降)からの凡そ20年、ともにオタク文化に触れてきた人間として、単なる書評としてコンパクトに文章をまとめるに止まれない感情が本著を前に沸き上がるのを止められなかった。というわけで、別項に主にゼネプロに関する内容が多くなってしまったが、自分史と照会したガレージキット的文化に関する雑文をUPしたので、参照されたい。また、時代的背景を明確にするために、文化的事象の照応の意味で自分の学生時代の模型屋話も併載した。興味のある方は併読頂きたい。
 1)模型屋が溜まり場だった頃  2)模型部だった日常
 3)ガレージであること[前編][後編
自分がみてきたものは、今では考えられないかもしれないが、オタク的な趣味がどんどんセクシャルなものへと移行する黎明~発展の歴史だった。今でこそ飽和状態に感じられるが、それまではオタク趣味にセクシャリティが介在する余地など殆どなかったのだ。結構バンカラで硬派な世界だったのである。その頃、いやもっと昔、第二次大戦の戦車や零戦の模型を木から切り出していた時代からの模型趣味人にしても当然、ちょっとのセクシャリティがチラリズム的にあるのならまだしも、ここまで氾濫、いや殆どそれらで席巻されてしまった状況は、戸惑いはもちろん、危機とまで感じているのではないだろうか。ちょっと時代を遡りすぎて大げさにしてしまったが、模型趣味の世界ではミリタリィというのは歴史があり世界規模の趣味でもある。タミヤのAFVなどがその代表的なものだろうが、それらに模型趣味の基盤があるものは、どんなに模型がSEXに傾いても、模型屋としての誇りを失ってはいなかった。その気概が、食玩におけるWTMとして現れた。その意味で、オタク通史としてもガレキ史の章とWTMの章だけでも本という形として残しておく価値のあるがあるのではないだろうか。少なくとも自分には、本著の肝である気がしてならない。
またタミヤの模型屋としてのスタンスは海洋堂がリスペクトしていて同時に敵対視している部分もあるので、『田宮模型の仕事』を併読されるとより興味深く対比できると思う。

田宮模型の仕事 Book 田宮模型の仕事

著者:田宮 俊作
販売元:文藝春秋
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もちろん、他の章も読み応えがあるし、レイアウト・装丁が凝っていて、保存版としての重厚感があるのも特筆点だろう。あさのまさひこ氏は実にいい仕事をしたと思うのだが、以前『ボトムズアライヴ』という仕事も手がけていた。いくつか似たようなファンブック的な本が発行され、それぞれに賛否あるのだが、氏はオタク史において里程標とも呼べるべきものをまとめ形にしているという点で個人的に評価している。今後もこういった書物が残していかれることに期待したい。

ボトムズ・アライヴ Book ボトムズ・アライヴ
著者:岡島 正晃,あさの まさひこ,中島 紳介
販売元:太田出版
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文脈と前提~島田雅彦『彼岸先生』

彼岸先生久々に島田雅彦に再び手を付けだした。ということで『彼岸先生』を読み出したが、まだ、漱石云々というかんじは感じられないが、やはりタルコフスキーなどの単語が出てくる。
こういう固有名が小説に出てくるというのは、オタク的な感覚でいえば、同族意識というか「これ知ってる人いる?」という、さもしくもついやってしまうことだが、この場合少々事情が違うようだ。

これまでの文学のような世界での知的文脈、みたいなものから出ているものだと思う。つまり、島田雅彦の場合、小説というものが日本に誕生してから、文芸批評で執り行われてきたこと、ちょっと前のことで言えば、ポストモダンの言説に至るまで、文学というジャンルが問題としてきたこれまでの歴史、つまり文学的な文脈というものを踏まえたうえで、固有名を使っているということだ。
つまり、どれどれこういう固有名を用いる場合、その言葉に対してこれまでどのような言説があったかがわかってしまうわけだ。これは逆に、いまさらこんな言葉を使うのはヤバいだろう、という自主規制にも繋がる。もっとも、島田の場合、そんなちゃちなことには頓着しないのだろうけど。
それにしても、文脈を背負っているものとそうでないものとの差は明らかだ。よくも悪くも、背負わない文章は時代性を感じさせない、よく言えば、他人はお構えなしに、自分自身がいいと思ってきたものが素直にでている。しかし、気付いたことが既に埃をかぶっているような発見だって事も往々にしてある。島田は明らかに文脈を背負っている。だから多くは語らない。さらっと、タルコフスキーといってのける。島田の作品からはそれが逆に自由である印象を受ける。

個人的に思う面白さは、その自由さにもあると思う。しかしその自由さを与えている固有名は前提を必要としているものではなく、字面として定着してはいても、決して衒いではないのだ(というかその意味では機能しないと思う)。こういうことは東浩紀によってある程度語られていることなのだが。。。

【初出:1999年6月17日】

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南Q太『オリベ』雑感


オリベ
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オリーブ に連載されていたマンガのようで、南Q太 の作品を読むのは久しぶりながら、第一印象としては雑誌のカラーが色濃く出ているなぁと。
概要は画像のリンク先を参照して欲しいが、いわゆる一本筋の通ったストーリーのあるマンガというより、架空のキャラクタ、オリベ(オリーブだから?)の日常を断片的に抽出したエッセイマンガといったところ。最近、特に女性作家のエッセイ的なマンガを、しかもマンガ雑誌以外のファッション誌などで見かける機会が増えたように思うが、このマンガもそういった流れの上で生まれた印象を受けた。

むろん南Q太がそういったところから出てきたタイプの漫画家ではないと思うが、作風というか読者層というか、いわゆるヲタなマンガではないし、オシャレな感じだけど、アヴァンギャルドではなく読みやすく、フツーに感情移入できるタイプの漫画家として、こういうエッセイテイストのマンガ、しかもオリーブの読者にも受けがいいだろうという読みが本の端々からビンビン伝わってくる。
そう、作家のイマジネーションとかそういう幻想ではなく、“仕事してまっせ”っていうオーラに満ち満ちているのだ。

別に非難しているわけではない。マンガでメシを喰うのだから、ニーズのある仕事がくるのは当然で、それに適応してこそプロだろう。そこにどう自分というものを入れていくのか、無意識に出てくるのか知らないが、それは作家の気質というか、人それぞれで一介の読者である自分に知り得ようもない。
これまでのいわゆる南Q太な恋愛マンガだって仕事だろう。似たような作品依頼ばかりになる中で、このオリベのような仕事が来て、それを見事にこなす南Q太のプロ意識に敬服した。見事にハマっているのだ。今作のようなテイストを取り入れた南Q太の新境地がみれるような気がしてきた。


ただ、これは好みの問題だが、オリーブで2年、『ウフ.』 で1年チョット掲載された中で、こなれ過ぎ、オリベというキャラがそこらにいそうなキャラから完全な架空の独立したキャラになってしまったのが個人的には残念に思えてしまった。
オリーブ連載分は恐らく前半のフルカラーパートだと思うのだが、オリベは下膨れながらまだ人間的にリアルな程度の下膨れ具合で、所々のカットでは結構女性的に魅力的な一面も見せているのに対し、後半2色刷り部分では、下膨れが有り得ないほどディフォルメされ、クレヨンしんちゃんといっては極端なまでも、丸ものキャラに完全に寄ってしまった感は否めない。
オリーブが休刊となりウフ.に掲載が引き継がれたのだと推測できるが、掲載雑誌の変化が影響を及ぼしているのか(雑誌の傾向自体はあまり変わってないと思うんだけど・・・)、そのトーンの変化はキャラクタの変化だけでなく、コマ割など構成でも変化している。
マンガとしてずっと続けていくのであれば、キャラがひとり立ちするほうが読者としては馴染も出てくるし作品そのものへの関心も高まるだろう。しかしどこかにいそうなキャラではマンガとして限界があるのだろうか。
その辺の事情はわからないまでも、前半オリベ的な部分が、他の作品に波及して、なにか新たな可能性がでてきたら、それはとても興味深い。そんな南Q太の新作に出会える日を、不熱心な読者ながら期待しよう。
・・・それにしても、このオリベ、どうにも大食いで一時旋風を巻き起こした“おとべのりえ”(漢字失念。ググッても出てこないので名前がちょっと憶え違いしてるかもしれない)に見えて仕方がない。実はモデルはおとべのりえで、略してオリベなのか!?


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